東京高等裁判所 昭和48年(う)1752号 判決
被告人 鈴木充
〔抄 録〕
当裁判所としては、疫学的な事実について、疫学的証明により因果関係が成立すると認められる場合、直ちに刑事裁判上の法的因果関係が、成立すべきであるとの、吉田教授の前記所説には、にわかに賛同するものではないが、疫学的証明は結局情況証拠と経験則を活用して因果関係を認定していくという事実認定の一方法であるといい得るのであって、民事訴訟のみならず、刑事裁判においても、法的因果関係の認定上活用し得るものであると解するのを相当とする。換言すると、少くとも、疫学的証明ないし因果関係が、厳格な証明を要求される刑事裁判においても有力な情況証拠として活用されるべきものと認むべきであり、その疫学的証明ないし因果関係が、刑事裁判上の種々の客観的事実ないし証拠または情況証拠によって裏付けられ、経験則に照らし合理的であると認むべき場合においては、刑事裁判上の証明があったものとして法的因果関係が成立するということができ、有罪の認定を妨げるものではないと解するのを相当とする。<中略>
一、捜査官による取調について
先ず被告人に対する取調の点についてこれをみるに、原審証人滝本藤市(第七九回公判)、同鈴木美夫(第八〇、八一回各公判)、同大矢房治(第八一、八二回各公判)、同日色義忠(第八二、八三回各公判)(以上いずれも警察官)の各公判証言によれば、本件は傷害被疑事件であるところから、強力犯担当の千葉県警捜査一課の警察官が主として被告人の取調にあたったのであるが、細菌学という特殊なかつ専門的領域での犯行であることから、被告人から聞き出す以外にその犯行の動機、原因、犯行状況などを知るすべがなかったこと、そして捜査開始にあたっての上司からの指示は発生源にさかのぼれといわれていたというし、さらに警察官による被告人に対する取調の状況については、専門的知識を必要とする本件の場合、かかる細菌学などの知識に乏しい捜査官としては、被告人になるべく説明を受けるなどしてむしろ被告人から教えられながら、本件についての取調を続行したものであり、被告人が社会的にも地位の高い医師という身分にあることを十分にわきまえて被告人を取調べたものであることが認められる。また原審証人山岡文雄(検事)(第八五回公判)、同内田芳幹(検察事務官)(第一〇四回公判)の各公判証言ならびに原審において取調べた被告人の実声を録音した録音テープ二巻(符五三七号)および当審において取調べた右録音テープの反訳書(謄本)によれば、検察官による被告人に対する取調の状況についても、基本的には警察官の場合と異なるところはなく、専門的知識に乏しい検察官が、むしろ被告人から説明を受けながら進めていたもので、このような雰囲気から次第に自白が積み重ねられていったことならびに検察官の質問に対する被告人の供述態度は非常に丁寧であったことが窺われる。
二、被告人が自白するに至った経緯と自白の任意性に欠けることがないことについて
1 一部自白までの供述内容について
(一) 記録によれば、被告人は四一年四月七日千葉市立葛城病院を退院したうえ、任意同行の形で中央署に出頭し、中央署到着後カステラ事件を被疑事実として逮捕状を執行され、同署に留置され、同月一〇日同事実によって勾留され、接見禁止などの措置がとられたもので、逮捕後七日目の同月一三日にはじめて本件のうち、カステラ事件、千葉大バナナ事件、川鉄カルピス事件について概括的な自白をしているのであるが(4・13員一一)、とくに4・8員三、4・10員一二、4・10員一七、4・12員二三、4・12員二四および右4・13員一一によれば、それまで否認していたものが急に同月一三日に至って本件の一部について概括的な自白をしたものではなく、その間にも自白しようとする心境の動揺があったことが窺われ、同月一二日の司法警察員による取調において、川鉄カルピス事件に関し、伊藤由一に対し胆汁液を入れたままの注射器で採血したと供述し、さらに川鉄医務課長の金谷と名乗るなどして、長谷川医院、佐野医院、奥山医院にそれぞれ伊藤由一、石井みえおよび妻沼喜弥が急性伝染疾患のようであり、ことによったらチフスかも知れない旨公衆電話にて密告電話をかけたことを供述した(4・12員二三)のち、その翌日に右三個の事件は自分がやったものだと概括的に一部自白をしていることが認められるのである。
2 一部自白の状況について
右のような経過により逮捕後七日目の昭和四一年四月一三日に至り、一部自白がなされたのであるが、その前後の状況については、警察官である前記原審証人鈴木美夫、同大矢房治、同日色義忠の各公判証言によれば、被告人は同年四月一三日午後八時ごろ妹の自殺のことや家庭のことなどに話が及んでから涙ながらにカステラ事件などについてはじめて自白するに至ったもので、その際(千葉大一内)三輪教授あてのメモをしたため、これを同教授に届けてもらいたい旨取調警察官に依頼したこと、そして同日午後一〇時すぎころ自ら犯行を認めることによって新聞報道関係に本件が発表されることになった場合の両親、とくに母鈴木琢の健康状態が不良であることなどを案じ、新聞発表は明日にしてもらいたいと捜査官に依頼したこと、しかし千葉県警においては、新聞発表を延ばすわけにはいかないところから、大矢警部補がこのことを被告人に告げるとともに、被告人の自白を知った際の被告人の両親の驚愕を虞れる被告人の心情を汲んで、篠塚警部と日色警部補の二名を深夜自動車で千葉市を出発させて、翌同月一四日午前四時ころ静岡県駿東郡小山町の被告人の実家に赴かせ、右篠塚、日色の両警察官が被告人の父鈴木繁に会って、被告人が両親のことを種々心配している旨を告げ、とくに母琢にあやまちのないように懇請していることが認められるのである。そして被告人が同日付で作成した右三輪教授あてのメモ(検察事務官大地数栄作成の昭和四五年一一月六日付報告書に添付のもの)も、その筆跡および文脈などからすれば、千葉大三輪内科に大きな汚点を残したとして、悔悟している心情を汲みとることができるのであって、右メモもまた右自白の任意性を裏付ける一資料とみることができる。
3 全面自白の状況について
記録によれば、被告人の取調べにあたった捜査検事は、主として山岡文雄検事であるが、被告人は昭和四一年四月一六日の同検事の第一回の取調べに際し、「供述する際には、これからも気持を統一するためにしばらく黙祷させて貰いたいことをお願い申します。」(4・16検四六)と述べて黙祷しており、同検事作成の供述調書にはほとんどすべて冒頭に、被告人が「黙祷」した旨の記載があり、前記原審証人山岡文雄(検事)、同内田芳幹(検察事務官)および同日色義忠(警察官)の各公判証言などに徴すれば、被告人は捜査検事の取調に際しては一貫して黙祷したのち供述していたことが認められ、原判決もまた、黙ってうつむいていたものを「黙祷」と記載したものであるとの弁護人らの原審での主張を排斥して、「黙祷はまぎれもない事実である。」(同判決書四七丁裏)と判示してこれを肯定している。黙祷はもとより反省と悔悟の表現とみられるのであって、被告人の供述に任意性があることを裏付ける重要な証左ということができる。そして被告人の各捜査官調書をみると、右のように被告人は自ら反省し悔悟して事実を捜査官に供述していることが明らかであり、その後再び否認や黙秘したことも見受けられないではないが、概括的な自白から順次具体的かつ詳細な供述になっていっており、犯行についての動機や犯行方法に関する供述に変遷は見られるものの、被告人が赤痢菌ないしチフス菌を食物に付着させ、または医薬品などに右の菌を混入して被害者らを発病させたとの供述についての大綱はほとんど一貫して変っていないのである。さらに被告人の自白調書中には、被告人が自ら作成して署名指印した相当数の図面ないし説明書(メモ)が添付されており、その内容自体から、被告人が任意に供述しなければ語りえない事柄を含んでおり、また自白調書の本文中にも、右の図面に基づく供述ないし説明がある部分も存在し、これらの点からしても自白の任意性は十分に推認しうるのである。
4 録音テープと八ミリフィルムの存在およびその内容について
前記押収にかかる録音テープ二巻(符五三七号)は、原審証人山岡文雄(検事)、同内田芳幹(検察事務官)の各公判証言によれば、被告人の了承のもとに検察官の被告人に対する取調状況を録取したものであり、これを、当審において取調べた前記録音テープ反訳書(謄本)によって検討してみれば、千葉大カステラ事件などの犯行前後の状況や被告人が自白するに至った心の動きなどを淡々と供述していることが窺えるし、また押収にかかる八ミリフィルム(符五三八号)は、昭和四一年五月二二日に被告人がババナなどにチフス菌を穿刺する場面などの犯行状況を再現させてこれを撮影したものである(ただしそのフィルムの約八割は感光しているためその部分の映像は出ない。)が、その(残りの約二割の)映像からみられる動作や被告人の表情などからして、任意性を裏付けるに足るものであることが窺われる。<中略>
一、本件自白の信ぴょう性が十分に認められることについて
(一) 一般に任意性のある自白は、信ぴょう性もあるといわれており、原判決も、「一般的にいえば、自白は任意に述べられたものであるときはその真実性も認められる場合が多い。そして、とくにその自白が動機において悔悟に基づくと考えられるときは、信ぴょう力が高いといわれる。」(同判決書五一丁裏~五二丁表)と判示していることは所論のとおりである。しかも原判決は、被告人が本件について概括的自白を行なったときの状況や検察官の取調べの際黙祷したのち自白した事実を認め、自白の動機について悔悟に基づくものであることの数例を挙示してこれを肯定している。そして被告人が反省と悔悟に基づいて自白するに至ったものであることは、4・29員四、4・14員一八、4・25員二七、4・16検四六、6・9検四七、5・25検七〇などの各捜査官調書の記載自体によっても明らかである((なお原判決は、自白の動機に関しては、所論のように「悔悟の形で述べられた自白」(同判決書五五丁裏)との表現を用いているのであるが、その措辞が、被告人が悔悟を装って述べた自白であるとの趣旨なのか、真に「悔悟に基づいて述べられた自白」と解すべきであるのかは、その判文自体からは判然としない。))。しかし右のような動機に基づく自白であっても、犯行の全部を余すところなく語り尽しているとはいえない部分があり、できるだけ罪を免れたい、できることなら少しでも隠しておきたい、自己に有利に事実を潤色したいなどというのが犯罪者一般の心理といえるのであって、とくに本件のように、直接の物証のない密室的犯罪であるうえに、菌培養または菌穿刺の手技などにつき捜査官がほとんど無知といってもよい場合においては尚更であるといわなければならないから、これらの細かい点については、自白に全幅の信頼をおくのには疑問があり、他の証拠との照合が必要となるものと解される。
(二) 次に本件自白には実際の体験者でなければ述べられないような具体的かつ詳細な事実の告白が含まれているものと解されるのであって、このような場合にはその自白の真実性を証する有力な資料となる。すなわち本件犯行へ駆り立てられていった心の動きや、菌培養の方法、菌穿刺の手技に関する専門的分野に属する供述はもとより、菌を食品に付着させてそれを喫食させるに至った犯行の具体的な過程は、実際の体験者でなければ語りえない事柄であり、とくに本件のようなきわめて稀な特異ともいうべき事件においては、第三者が簡単にその犯行の心理や犯行状況などを窺知しうるものではないといわなければならない。その他に、本件においては、被告人の各捜査官調書中に、実際の体験者でなければ語りえないような供述が相当個所に見受けられるのである(例えば大林事件の犯行についての4・24員九、堀内十助方事件についての4・20員三一、鈴木収方事件についての5・11員三四など)。もっとも中には、動機などの点について、変転している供述も散見されないではないが、本件のように一〇〇余通にのぼる供述調書(大部分は自白調書)が存在する場合、それらの自白が枝葉の点まで終始変転がないということは、前記犯罪者一般の心理に照らし、むしろきわめて異例に属するところであり、要は、被告人の細菌汚染行為およびこれによる犯行という基本的事実についての自白が一貫しており、その他の諸般の客観的事実あるいは情況証拠などに照らし、合理的であると認められれば、その自白は全体として、したがって大綱的に信ぴょう性に欠けるものがないとしなければならない。しかるに原判決は、自白の信ぴょう性を否定する理由として、「本件における被告人の自白はみずから体験した者でなければ述べえないような内容を具体的に暴露しているやに見受けられる。……細菌をいじるようなことは一般的にきわめて特殊的なことと観察され、したがってこれを用いて人体を汚染すべく菌液を作り、食品類を汚染し、運搬その他の所業に出たことについての内容はまさに体験者の言そのものの如く迫真的に映るのであるが、実は細菌の研究者にとって、菌液を作るようなことは日常の作業であり、これを犯行につなげていくいろいろな動作についての供述も決して想像を許さない範囲のものときめつけうるものではない。」(同判決書五三丁裏~五四丁表)と判示し、そのような眼をもって本件自白をみるとき、自白内容に体験者でなければ知りえない秘密性が蔵されているかといえば、それが案外に少ないことに気づく、としているのである。なるほど菌液を作るようなことは、細菌の研究者にとっては、日常の作業といえるのであろうが、その菌液を食品に穿刺するなどして汚染し、これを他人に食べさせるなどの行為が、常識的な観点からみて想像を許す範囲の事柄であろう筈はなく、本件では、すでに説示したように細菌学についての専門的知識に乏しい捜査官が、その犯行の方法や態様を外部から想像によって描き出して、これを被告人に押しつけて自白調書を作成することができるような性質の事案ではないことは、本件の特殊性からしても明らかなところである(ただし原判決の右の判示では、所論のように犯行状況の供述について被告人が捜査官に追及され、想像したことを述べたものにすぎないというのかどうかは明確でない。)。しかるところ原判決は、被告人の性格について「かなり迎合的な傾向があるようにうかがわれる」(同五六丁裏)とか、「かなり目だった虚言傾向のある」(同五七丁表)ことを認め、被告人の供述について、「本件の全体をみるとき、被告人は医師として教養を積んだ者であるのに、自己の『言葉』に対する責任の乏しさがどうしても目立つのである。」(同五八丁表)と説示しているのであって、被告人が迎合的な傾向や虚言傾向から、ありもしないことを想像として述べたにすぎないと判断しているように見受けられないでもない。しかし医師としての教養を積んだ知識人である被告人が、自己の供述がどのような結果を招来するかということについて、何らの予測もしていなかったことは到底考えられないので、本件犯罪事実について、単に迎合的な虚言傾向から、ありもしないことを、想像からあるように任意に供述するということはありえないことであるといわなければならない。
(三) また自白は、その内容が客観的事実と符合したとき、信ぴょう性が高いものということができる。本件においては、前記のように疫学上被告人が贈った食品以外に感染原因がないという事実関係が明らかにされ、他方その食品を被告人がチフス菌で汚染したという自白が存在し、その自白の内容が客観的な事実すなわちその被害の日時、場所、具体的状況と符合しているのであって、その自白は証拠によって裏付けられているのであるから、その信ぴょう性は全体として、十分にあるものということができる。
(石田 柳原 小林)